世界の金融グループから、ベンチャーへ。 リーマン・ショックで日雇いバイトも経験した男の 「納得できるキャリア選択」とは
プロフィール
コイネージ株式会社 取締役兼CSO 田鍋 洋造(タナベ ヨウゾウ)
東京大学を卒業後、2008年にリーマン・ブラザーズ証券に入社。その後ゴールドマン・サックス証券に入社し東京、ニューヨーク本社、ロンドンで勤務。機密情報の管理、部署間の利益相反の防止などコンプライアンスリスクのマネジメントに従事する。2014年に帰国後、フランスのジュエリーブランドの日本展開にCOOとして参画。経営及び事業の責任者として戦略を策定・実行し成長を牽引する。2015年、バルセロナのIESE Business Schoolに留学しMBAを取得。2017年10月、取締役兼Chief Strategy Officerとしてユナイテッド(株)子会社のコイネージ(株)に参画。
「何をやるか」より、「誰とやるか」
ーー現在、ユナイテッド株式会社で働かれている田鍋様ですが、もともとサービスを作ることに興味があったのですか?
そうですね。特にBtoC向けのサービスを考えるのが好きです。
自分が作ったサービスが、消費者や日常生活にどのような影響を与えるのかを考えて落とし込んでいくのが好きですね。
ーーその中で、ファーストキャリアはリーマン・ブラザーズとのことですが、ファイナンスや金融系に就職しようと思った理由は何だったのですか?
正直、当時はあまり考えてなかったですね(笑)
実際に働いていくうちに、好きな仕事や考えたいテーマに繋がっていったという感じです。
もともと僕はインドとのハーフで英語も得意でしたし、「外資系に行きたい」「海外で働きたい」という思いを持っていたので、金融を選びました。
また、年齢に関係なく、実力に応じて責任のある仕事を任されるので、早いうちから社内の様々なプロジェクトに関われるのはいいなと思っていました。
ーーそうなんですね。他にも働く中で大切にしたいことや、「ここで働きたい」という決め手はありましたか?
「人」ですね。僕がリーマン・ブラザーズに入ったのは、リーマン・ショックの直前でした。
なのでリーマンにいたのは一瞬だけだったのですが、その決め手も結局、一緒に働きたいな、と思える人がいたからです。
「なにをやるか」というよりは、「誰とやるか」というのを重視しています。
その後は野村証券に移ったのですが、1ヶ月後くらいに所属部署のほぼ全員に解雇通知が出され、私も退社することに。
そのときはさすがに僕も「やばいな」と思って、約半年、あらゆるアルバイトしていました。なので、実はスムーズにここまできた、というわけではないんです。
番号をつけられ、番号で呼ばれた日雇い時代
ーー半年のアルバイト生活ですか。不安はありませんでしたか?
とても不安でしたね。今でこそ、「第二新卒」という言葉が浸透してきていますが、当時は、「新卒を逃すとどこにも入れない」と世間では言われていました。
就活やアルバイトもしていたその半年、金融業界に限らず、「世界経済はどうなってしまうのか」という雰囲気で…。
でも、今考えると、色々なバイトをしたのは良かったですね。
ーーどのようなことが良かったのですか?
働く上で大切なことは何かを知れたことです。
引っ越しや日雇いのアルバイトをやっていたのですが、日雇いの仕事などは労働環境が本当に酷いことを肌で感じました。
番号をつけられて、その番号で呼ばれるんですよね。このような環境ではやりがいを感じるのが難しいだろうなと思いました。
あとは職場環境や組織の作り方として、良いパフォーマンスを出すためには、お金だけではなく、チームとしてのやりがいやモチベーションもとても大事だと思いました。
なので、今AIなどが一般的になってきて、“本当にやりがいのある仕事”を見つけて時間をそこに使えるようになっていくのはすごくいい流れだと思います。
人によって「このような仕事がしたい」というのは違うと思うのですが、さすがに発展しようがない、やりがいを感じるのが難しい仕事もあるので、そのようなものはどんどん変わっていったらいいですね。
“人が羨む生活=自分のやりたいこと”、ではなかった
ーーそして、そこからゴールドマンサックスにいかれたのですか?
はい。次の年の6月に入社しました。投資銀行のビジネスに関わることは自分にとってとても面白かったです。
投資銀行部門で働くバンカー達は、「◯社が△社を買収する」「〇〇が資金調達をする」など、これから未来で起こる情報をかなり知っているんです。
かたや「アナリスト」という人たちは、マーケットや公開情報の下で自分の独立した見解をだす必要があり、公開情報を元にしか仕事をしてはいけないんですよね。
トレーダーも同じです。バンカー達が知っている情報を元に仕事をするとインサイダー取引になってしまいますから。
僕は、誰がいつどんな機密情報を得たかということを会社として全て把握し管理する、コンプライアンス部内のチームにいて、働く中でだんだん自分の仕事も分かってきました。
その中の一つが、「NO」と言わなければいけないこと。立場的に「やろう」というのを止める側でした。すごく良いことをするのではなく、悪いことがおこらないようにする立場です。
ただ、働いていくなかで「それって本当に自分のやりたい事だっけ?」という疑問を持つようになりました。
あと、同じ部署の上司を見ていると、やはり大手の会社なだけあって、給料は高いのですが、実は勤務時間はそこまで長くなく、ライフスタイルがすごく良い。
義務としての仕事はなるべく早くこなし、プライベートを楽しんでいる、という感じでした。
それはそれで一見魅力的なのですが、結局1日の大半は仕事に費やすので、どうせならその時間を自分にとってやりがいのある、ワクワクしたものにしたいなと感じました。
そこで、「そろそろ違うことをやった方がいいな」と思うようになったんです。
ちょうどその頃アメリカのビザを更新しようと思ったらできなくて、「これは何かのきっかけだ」と思い、日本に帰ってきました。
そこから1年、フランスのブランドと提携して日本で代理店を立ち上げ、デパートのブースでアクセサリーを売るというビジネスをやりました。
その時点で、イノベーションや新規ビジネス立ち上げ、スタートアップなどにフォーカスして学びたいと思うようになっていました。アクセサリーの事業では、会社を回すのはどのような感じなのかを、実体験として学ぶことができたいい機会でしたね。
「社内」ではなく「社会」に影響を与える存在でありたい
ーー輸入代理店をされたあとは、スペインでインターンシップをされていたと伺いましたが、それはまたどうしてだったのでしょうか?
本当はスタンフォードに行きたかったんですけど、スタンフォードって年間に1人か2人しかいけないような狭き門なんですよね。結局受かったのが、IESEというスペインの大学でした。
ヨーロッパの大学を選んだのは、多様性に触れたかったからです。
アメリカのMBAにはアメリカ人が大体5割で、次いで多いのが中国人とインド人なのですが、アメリカ育ちが多いです。
なので、「卒業後はアメリカで働く」というマインドセットの人がかなり多い。
自分が求めていたのは、色んな違う国から来てて、全然違う考え方を持っている人たちと学び合う場でした。
実際に、スペインの IESEは授業は全て英語なのですが、スペイン語圏の人が多く、教授や生徒と話した感じもしっくりきたんです。
ーーお話を聞くと、本当にグローバルに活動されているのですね。
その環境に適応していくなかで自分がどのように変わるかを感じるのが面白いんですよね。
この価値観は昔からあって、おそらく親の影響が大きいです。
僕は日本人なのですが、母親の実家のニューデリーに昔よく行っていて、「世界はこんなにも違うんだ」というのを身を持って感じていましたから。
ーーそのような自分の価値観に気付かれたのはいつですか?
ゴールドマンで働いている時ですかね。
自分の描いていた金融業界への憧れや、「給料が高い」「かっこいい」と思っていたビジョンとマッチするところはもちろんありましたし、逆に合わないところもありました。
結局、「自分のやっている仕事が社会にどのような影響を与えるのかを感じたい」というのが自分の「軸」であることにその時に気付いたんです。
ゴールドマンにいた時は、自分のやった仕事の影響が社内にとどまっていたので、「これはなんか違う」と違和感を覚えたのがきっかけです。
「ぬるま湯」を飛び出し、新たな挑戦へ
ーー日本に帰ってきてからは、なぜユナイテッドさんを選ばれたのですか?ここまでのキャリアだと、他にも多くの企業様からお誘いがあったのではないでしょうか。
ユナイテッドを選んだのは、やはり人の出会いを選んだのが大きいです。
ユナイテッドの役員の山崎(=執行役員 山崎良平氏)が新規事業立ち上げに凄く熱狂していて、このような人と働けたら絶対面白いだろうなと思いました。
もちろん事業自体にも可能性と魅力を感じていたのもあります。
仮想通貨が今後、社会の中でどのように生活に関わっていくのか、その黎明期を見られるというのは、またとないチャンスだと思いました。
ーーここまで、本当に色々なキャリアを経験して来た田鍋さんですが、この紆余曲折の中でベースになっていたものや、常に大切にしてきたものはありますか?
「ぬるま湯にいないこと」です。
僕の場合、やっていることに慣れてしまい、ぬるま湯に浸かってると感じると、毎日の仕事が楽しくなくなってしまうんです。
このままだとやばい、新しいことに挑戦して、ぬるい自分と戦わねば、と焦ってきます。
せっかく日本という恵まれた国で自由に働ける環境が整っているのですから、それを活かさない手はありません。
それに、人と会って色々な情報を得ていくと、いつかは道が開けてくるんですよね。
それを続けていれば、迷わず新しいところに飛び込めます。
安心できる慣れた環境で生きていく幸せも、もちろんあると思います。
でも僕はそれだと自分が納得できないし、「なにかいいものを後世に残したい」と思うタイプなので、そのような生き方をしていきたいというのは、常にベースにありますね。
ーー素敵なお話、ありがとうございました!
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