
【前編】上場企業役員経験者が「なぜ」長期インターンを推進するのか!?
〜ミーハーで特に何もしなかった、普通の学生時代。〜
Q:まずは、学生時代のお話と就職活動のときのお話を聞かせていただきますか?学生時代はどんな学生だったのですか?
須田氏:典型的な文系学生だったかと思います。早稲田の商学部に入って、大学にはあまり行かずに、バイトして遊んでばかりでしたね。
ちょっと前に「LOVE理論」っていう深夜ドラマをたまたま観たんですが、その主人公とほぼ同じでしたね(笑)。茨城県の田舎の高校出身で、東京に憧れて「大学デビュー」する、みたいな。
「キャンパスライフ」みたいなのに憧れていたので、まずは「テニスサークル」に入ろうと思いました。新歓時期に10個ぐらい回って、一番カワイイ女子が多いところを選びました。田舎育ちで、地味な真面目な女子が好みだったので、そんなにチャラくない「ちょっと真面目そうなテニスサークル」でした。
でも、入ってみたら物凄くつまらなかった。その当時、カワイイ女子は年上の先輩方で、大体サークル内の先輩と付き合ってました。新歓合宿とか行くと、もうとにかく「誰が好きだ」とか「あの2年のカワイイ先輩は前は4男(4年生男子の意)と付き合ってたけど、今は3男(3年生男子の意)と付き合ってる」みたいな話ばかり。
これはもうホントどうしようもないセカイだな、と思って辞めました(笑)。何となく先輩や同期とも合わない感じがしてましたし。
また文化系サークルの「マスコミ研究会」(通称:マス研)ってのにも入りました。子供の頃からテレビを観るのが好きだったので、単なるミーハーです。でも入ってみると、「ジャーナリストになりたい」とか「アイドルオタク」みたいな先輩とかばっかりで、これも合わないなと思って速攻で辞めました。

まるでフリーター!?バイトや合コンで過ごす生活
Q:暗い話からスタートな感じですね(笑)。もはや大学に居場所がなかったような…
須田氏:一応「クラス」ってのがあって、当時語学(英語、フランス語)のクラスってのだけは出席しないと単位とれないという風潮があったので、クラスで仲の良い友達が数人出来ました。大体、田舎出身でサークルに馴染めずドロップアウトしたという同じクラスタな感じの奴らで。(笑)
あと、同じくマス研に同じく単なるミーハー心で入ったドロップアウト組の同クラスタとも仲良くなりました。夢であった4年間のキャンパスライフは、結局クラスの友達3〜4人とつるむか、元マス研の友達3〜4人とつるむの2択でしたね。(笑)
クラスには女子が3人ぐらいしかいないし、単なる男子校キャンパスライフでしたね。そうなると女子との出会いを求めないとってことになるので、最初の頃は合コンばかりしていましたね。最初はお互いの冴えない男友達の知り合いのツテでやっていたのですが、すぐにネタがなくなりました。
しょうがないので、今度は誰かが「東京にはナンパというものがある」みたいな情報を仕入れてきて、いつからか週末は毎週新宿歌舞伎町でナンパに出る、という感じでした。週3〜4はお酒飲んでたかと思います。
Q:随分出費がかさみそうな生活ですね…
須田氏:そうですね、すぐお金がなくなってしまうので、なるべく学校に行く時間を減らしてバイトをしてましたね。時給の高い家庭教師をやってました。茨城の実家から1時間半かけて通ってたので何かと時間がなかったです。
家庭教師は茨城と千葉で夜にやっていて、日中働けないので、日中は「もしかしたら女性と出会えるかもしれない」ようなバイトとして、通学途中の池袋や北千住でファーストフードのバイトを選びました。あとは冬休みは短期集中で稼ごうということで、スキー場で1ヶ月泊まりこみでバイトをしていました。現地でお金をつかうこともないので、自動的に貯まるんですよね。

〜結果、就職活動への不安と行動〜
Q:何かキャンパスライフとはほど遠い、単なるフリーターのような生活ですね。就職活動は大丈夫だったのでしょうか?
須田氏:大丈夫じゃないですよね(笑)。キャンパスライフという観点では、一応近くの雀荘はよく行ってましたよ。語学の授業のためだけにわざわざ茨城から早稲田に行くのは無駄な感じがしたので。
就活はヤバイと思いましたね。そもそもこんな学生生活だと自己PRが書けない。電車に乗っている通学時間が長かったので、2年生の頃からその時間を活かして「情報をインプット」することにしました。日経新聞を毎日読むのと、リクルートさんが出していた「就職ジャーナル」という就活雑誌を読み漁っていました。
Q:やっとマトモな話が出てきましたね。就活は情報収集が大事ですよね。
須田氏:日経新聞はとにかく「つまらなかった」。あと就職雑誌も毎月読むと大体いろんな社会人のインタビューとか出ててとても参考になったのですが、ああいうのって今考えると企業側のPRなわけで、ホンネな情報じゃないんですよね。
社会人の1日とか紹介されてて、「あー、毎日大変そうだな、つまらなそうだな」みたいな。結局のところピンと来るものがなく、もう社会への不安が募るばかりでしたね。
で、自己分析とかすると、当初「マス研」に入ったりミーハーであったし、昔からテレビが好きだったので、テレビ関係の仕事を希望するようなりました。ただ、人気業種で入社困難ってことで、何かにすがらねばってことで、3年生の時に「コピーライター養成講座」と「マスコミ就職予備校」みたいなところに行きました。合コンやナンパに使っていた予算をこちらに投下しました。30万ぐらいかかった気がするなー。当時の自分としては「投資」でしたね。
大学生活の時間をバイトと遊びに費やしたという須田さん。不安を募らせながら行ったこれらの活動や投資は、就職活動にどう影響を与えたのでしょうか。
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須田 仁之 (現在は上場企業の監査役や、ベンチャー企業の取締役として活躍中) 1996年3月、早稲田大学商学部卒業。1996年4月、株式会社イマジニアに新卒として入社。その後、転職し、1997年株式会社JSKYB(現 スカパーJSAT)総合企画室、1999年株式会社デジタルクラブ(現 ブロードメディア)企画室、ソフトバンクグループでのYahooBB事業立上げ、グループ会社のIPOなどを経て、2002年株式会社アエリアに入社。2004年12月株式会社アエリアの上場後、子会社ゲームポットの上場やM&A、グループ会社管理などに携わる。2014年には創業期から携わる株式会社クラウドワークスと株式会社弁護士ドットコムが上場。現在も、複数企業の取締役や投資家として活動している。 経歴 1996年 早稲田大学商学部卒業 1996年 株式会社イマジニア 社長秘書 1997年 ソフトバンクグループ 経営企画・事業企画 (スカパー経営企画、子会社ブロードメディア社のIPO、YahooBB事業立上げ) 2002年 株式会社アエリア入社 取締役CFO 2004年 株式会社アエリア IPO 2005年 子会社 株式会社ゲームポット IPO 2006年〜2011年 複数企業のM&A・投資(ゲーム、IT、金融)、上場企業TOBと企業再生 2011年 株式会社アエリア 取締役(非常勤) 2011年〜 複数のベンチャー企業の役員・アドバイザー・アクセラレータ 2014年 関与先2社が株式上場(弁護士ドットコム、クラウドワークス)
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